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訃報 代表取締役会長 金川 千尋


2023.01.05

信越化学工業株式会社(以下:信越化学) 代表取締役会長の金川 千尋(かながわ ちひろ)は、2023年1月1日に肺炎のため逝去いたしました。生前のご厚誼に深く感謝し、謹んでお知らせ申し上げます。

葬儀は近親者のみの家族葬にて既に執り行われました。なお、ご遺族のご意向により、ご供花、ご香典、ご弔問等は固くご辞退申し上げます。また、後日、偲ぶ会を開催させていただく予定です。

故人氏名 : 金川 千尋(かながわ ちひろ)
生年月日 : 1926年3月15日
逝去日時 : 2023年1月1日(日)午前6時05分 満96歳

金川会長は、1947年に旧制第六高等学校を卒業、1950年に東京大学法学部を卒業し極東物産株式会社(現・三井物産)に入社。1962年に信越化学に入社し、海外事業本部(現・国際事業本部)にて欧州、中米、南米での海外事業を次々と開拓したのち、1973年にはシンテック社(本社:米国テキサス州)を自らの企画立案により米国企業との合弁で設立。その3年後に合弁相手の持ち分を買取ることで同社を信越化学の100%子会社とし、1978年に取締役社長に就任しました。「塩ビは社会と環境に貢献する優れた樹脂で、需要は伸び続ける」という信念のもと、塩ビの生産工場の大型の新増設を自己資金により繰り返し実施し、フル生産フル販売を継続することで、同社を世界一の塩ビメーカーに育て上げました。

信越化学では海外事業本部長、専務取締役、塩ビ事業本部長、代表取締役副社長等を歴任したのち、1990年に代表取締役社長に就任。日本のバブル経済が崩壊した厳しい経営環境の中、シンテック社の経営で実践してきた合理的な経営を信越化学に導入し、不況に強い企業体質を築きました。同時に、フォトレジスト等の新規事業の育成にも取り組みました。ITバブルの崩壊をはじめとした厳しい外部環境を乗り越え、1994年3月期から15期連続の増益を達成し、信越化学の収益を大幅に拡大させました。2010年に代表取締役会長に就任した後も、信越化学グループの成長に貢献してきました。

1990年代後半からは投資家、アナリストとの対話を社長の仕事と定め、自らの言葉で経営と事業の説明を積み重ねてきました。経営における監督の重要性にいち早く着目し、2001年にはダウケミカルの元会長兼CEOを社外取締役に招き、その後も各界の第一人者を社外取締役に招くとともに、2002年には役員報酬委員会を設立するなど企業統治の強化と透明性を推進しました。生産活動においては、安全を常に最優先とすること、品質の重要性、環境対策、地域社会への貢献にも注力してきました。経営者は働く人とその家族の生活と幸せを担うとの責任感から、自らを奮い立たせ毎日の仕事に全身全霊を捧げてきました。

信越化学の社長、会長を務めるのと並行し、1998年に「塩ビ工業・環境協会」の初代会長として塩ビに対する正しい理解の普及と産業の発展に努め、2001年からは「FEC民間外交推進協会」の会長として世界の平和に向けた民間での各国との交流と相互理解を深める努力を積み重ねてきました。

【代表取締役社長 斉藤恭彦】
「金川会長は、社長を務めておられた期間に、信越化学を世界的な化学会社に成長・発展させました。その間、その経営手法「金川経営」を社内に浸透させることにも心を砕かれました。私自身、幸運にも、長きに亘り会長のもとで様々な仕事をさせてもらいました。その中で得た経験と考え方は、私の仕事の背骨になっています。会長の経営なくして、今日の信越化学はあり得ません。会長の築かれた礎の上に当社をさらに発展させていく所存です。金川会長の多大な貢献と功績に心から感謝し、ここに謹んでご冥福をお祈りいたします。」

以 上

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